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「羽咋」明記の国宝 知って 奈良時代 サバ運搬の木簡

2022年10月19日 05時05分 (10月19日 10時24分更新)
「羽咋郡」と書かれている国宝の木簡(右が表)=国立文化財機構所蔵品統合検索システムから

「羽咋郡」と書かれている国宝の木簡(右が表)=国立文化財機構所蔵品統合検索システムから

 富山県高岡市の勝興寺が国宝に答申され「次は北陸の日蓮宗本山、妙成寺を国宝に」と力が入る羽咋市に、羽咋ゆかりの国宝が既にある。「羽咋郡」と明記された木簡で、二〇一七年に国宝に指定された平城宮跡出土木簡(三千百八十四点)の一つ。地元でも文化財関係者以外にはあまり知られておらず、市歴史民俗資料館は、羽咋の地名が分かる貴重な資料として周知を図りたい考え。(松村裕子)

市歴史民俗資料館 周知に意欲

 この木簡は能登が越中国に併合されていた天平十八(七四六)年に、現羽咋郡市とほぼ重なる羽咋郡から奈良の平城京へサバ百匹を運んだ荷札。中男(ちゅうなん)(十七〜二十歳の男性)が当時は特産物だったとみられる能登サバを塩漬けにして納めたと分かる。国立文化財機構・奈良文化財研究所(奈良市)が所有し、レプリカを平城宮跡遺構展示館に常設展示する。
 羽咋での展示を望む声もあるが、国宝のため、金沢市の県歴史博物館や県七尾美術館など温度、湿度管理ができる文化庁の公開承認施設でないと借りられない。二〇一七年前半に富山県高志(こし)の国文学館(富山市)で展示されたが、国宝指定後は貸し出されていない。石川県歴史博物館や富山県埋蔵文化財センター(富山市)、高岡市万葉歴史館がレプリカを所有し、歴史博物館は常設展示する。
 羽咋市歴史民俗資料館は一八年の市制施行六十周年記念展で職員手作りの触れる模型を展示した。来秋県内である国民文化祭で市は万葉集をテーマの一つに掲げるが、編さんした大伴家持が越中国司として能登を巡行した年代と近い木簡も、現状では本物を借りて展示するのは難しい。
 資料館学芸員の中野知幸さんは「奈良時代に『羽咋』という地名があったことが証明できる貴重な文字資料」と強調。「国民文化祭に限らず、いつか、レプリカでも展示できれば。地元の人に羽咋の木簡があると知ってほしい」と話し、将来的に羽咋から奈良へのサバ運搬を再現する構想も練る。
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